ひゅっと空を切る音が月夜の耳に届いた。バックステップで振るわれた刃をよけて夕香
の目を見た。思惟も何もかも封じられているようだった。まずいと思ったときには遅かっ
た。刃がかすって二の腕の皮一枚切られる。
「とち狂ってんじゃねえ、このアホ狐っ」
 手首の関節を極めて刃を落として両手を取ってまっすぐに夕香を見た。刃をむき出しに
して月夜の肩口に噛み付こうとしたが開いている片手で頭を押さえてそれを止めた。が、
夕香は片足を振り上げて月夜の脇腹を捉えた。鋭い回し蹴りは無防備な月夜の肋骨を簡単
にへし折って体を吹っ飛ばした。
 とっさに受け身を取ったものの折られた肋骨が鈍い痛みを体中に撒き散らす。肺を強打
されむせていると夕香の第二波が月夜を襲う。
 うずくまったまま転がってそれを間一髪で避けると痛みをこらえて立ち上がってかんし
ゃく玉を取り出して地面にたたきつけた。凄まじい音と火薬の匂いが鼻を刺す。不意打ち
でしか使えないがうまくいったらしい。その隙を突いて一度距離を置いた。
「くそ」
 悪態をついて蹴られた脇腹に手を当てて目を細めた。このままでは夕香にやられる。
「恨むなよ」
 そうポツリと呟いて夕香を真正面から見た。かんしゃく玉に驚いてか不用意に近づいて
こようとはしない。
「夏は来つ根に鳴く蝉の空衣己が身の上に来よ」
 一息に呪歌を唱えてまっすぐと夕香を、その視線の先にいる本命、白空を見た。声が届
いていなかったらしい。夕香は先ほどの月夜と同じように吹っ飛ばされて地面に叩きつけ
られた。赤々と燃え上がっていた炎は白空か夕香の霊力だったらしく呪歌によって吹き消
され白空の体を無数の風の刃が襲う。
 痛みをこらえて呼吸を唱えているとダメージから立ち直ったらしい夕香が月夜に襲い掛
かってきた。それを体をひねって交わしひねった反動を利用して先ほどの蹴りのお返しを
見舞ってやった。さすがに避けられたが体制を崩した夕香に突っ込んで一発きつい拳を頬
にくれてやった。ずきとひねったさい痛みが全身を駆け抜けたが奥歯をかみ締めて耐えた。
「ふざけんな。元に戻す方法教えろ」
「さあね」
 刃に頬を裂かれたのか手の甲で血をぬぐっているのを見て月夜は目を細めて舌打ちをし
た。
「よそ見していていいのかなあ?」
 その言葉に夕香を見た。さっき振り落とした刃を広がって半身になってこっちに向かっ
ていた。それを避けて腰に差してある斬馬刀を抜いた。夕香も持っていた短刀を振って霊
力で刃渡りを長くして切りかかってきた。
 何合か斬り合わせてみても躊躇がない分夕香が有利だった。力でごり押しすれば月夜の
勝ちだが、それ以前に月夜は刀の使い方など習った事のないに等しく、里でいろいろ教え
てもらっていた夕香に比べれば未熟の一言では終わらせられないほどだった。それでも斬
り合わせ傷を一つも負っていない月夜は勘と運動神経がいいとしか言いようがない。
 その斬りあわせを白空はにっこりと見つめていた。
 胴を狙った太刀筋を鎬で受け止めて奥歯をかみ締めた。手傷を負っている分月夜のほう
が分が悪い。基、半神半人の神の子対所詮はただの人の子だ。月夜が分がいいなどありは
しない。と、夕香が押す力が大きくなった。息を詰めて夕香を見るとあろうことか片手で
短刀を振るっていた。
「この怪力がっ」
 苦しい息の元そういって両手で刀を支えていると夕香の手が喉を突こうと動いた。無理
やり片手で刀を支えてその手を取って反対側に放って刀を支えた。完全なる膠着状態だ。
「いい加減、目覚ませ。馬鹿狐が」
 そう呼びかけても声は届かない。どこか遠いところにいる。こんなにも近くにいるのに
声が、眼差しが届かない。
「夕香っ」



                           ――――――声は届かない。



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